鷄龍山紛靑との別称を持つ鐵紛靑沙器は15世紀に朝鮮窯を代表する寺窯により鷄龍山麓でのみ作られた陶磁器であり、地域間で異なる陶磁器形式を明確に表した代表的なものです。
鶏龍山陶磁芸術村は鉄画粉青沙器を復元、継承、発展させるべく陶芸家が集落を形成し汗を流しており、火と土に熱い芸術魂を燃やす陶工の情熱を感じられる場所です。
ここでは学生及び一般人の夏休み陶芸キャンプ、秋期キャンプ、各種文化センター講習、企業研修教育、現場実習教育、観光客向けの講義を実施しています。
牛禁峙は1894年、甲午農民戦争(東学党の乱)における最後の戦蹟地です。1894年1月全羅道古阜で全準をリーダーとして蜂起した東学軍は同年4月には全州を占領し湖南一帯を掌握、10月に再度蜂起し北上したが、その当初の目標が湖西地方の要所であり、忠清道の監営所在地である公州を占領する事でした。このため、公州の南の関門であるこの牛禁峙では熾烈な先頭が繰り広げられました。当時、東学軍は対外的に日本の帝国主義的侵略への対抗を掲げていたため日本は現代式武器を有する強力な軍隊を派遣しこの地で東学軍を迎え撃ちました。この戦闘は1週間、昼夜に渡り行われましたが、約10万名を誇った東学軍が千人余りしか生存しないという惨敗を喫しこの地で最後の時を迎えることとなりました。
牛禁峙は封建体制の改革と帝国主義侵略勢力に対する抵抗という民族史運動と関連した歴史の現場であり、その意義を称えるべく1973年11月、天道教公州教区によりこの地に東学革命軍慰霊搭が建設されました。
公州コマナルは公州地域の錦江及びヨンミ山を含む武寧王陵西側に広がる穏やかな丘陵地帯と錦江周辺の渡し場一帯であり、公州の胎動地であると同時に熊と人間にまつわる伝説が伝わる由緒深い名勝地です。
この地には熊の娘と木こりの青年にまつわる美しくも悲しい伝説が伝えられており、現在のコマナル北側にそびえるヨンミ山中腹には伝説において熊が暮したという熊窟がコマナルを見下ろしています。また、村では熊の未練を晴らし、村の安寧を祈る意味で渡し場周辺に熊祠堂を建て祭祀を捧げています。